もうさ戦争は無くなんないのでは?
どこかのお店で店名の由来を調べていたら・・・って、「大古洞」さんだ。 この店名を満州開拓団の「大古洞開拓団」だとしたらとしてちょっと展開しかけたものを、ブログ的なネタ一本にしようと思ってこちらで改めて展開しようと思います。 こんな風に書いていました。 ・・・ ・・ ・ 敗戦後ソ連兵に女性が狙われ強姦されるのを避けるために村から森へ隠れさせ、ソ連兵が帰った後に合図を送り女性や子供を呼ぶ・・・なんて辛い苦労があったんだそうな。まぁ、これは敗戦国が襲われ人間以下の扱いを受けるのはいつもどこでも同じなんだと思います。この時は日本が敗戦国になっただけの話ですが、当事者はトラウマになるほどでしょうし、死に直接つながる恐怖があったのだろうなと言葉では言えますが、気持ちまでは難しいですね。 改めて、当たり前のことを言います。 「戦争をするのは勝手にどうぞ。一般市民を巻き込むな。」です。 もうさ、どこかで決闘の場所を国際協定で結べばいいじゃん。人間は暴力や同種殺しはやめられないんだと思うんです。 だったら、そう言うグループになったやつらはもう戦いの場を与えて思う存分命の取り合いでもすればいいんです。 ・・・ ・・ ・ です。 この満州って今の中国のどの辺とかはもう別にして、終戦間近に日本の馬鹿どもは軍ではなく、国民を防衛のために開拓団として送ったんだそうな。約800の開拓団で義勇軍含めて27万人が満州に渡ったんだそうな。 我が父上も満州出身と戸籍上では書いてあります。どんな経緯かは何も聞かず語らず旅立ちましたが、調べて行けば本当に戦争の被害って悲惨だと思います。 そんな感じで残留孤児なんてのがあって、生き別れた元日本人が日本語もたどたどしいか話せない状態だけど、1981年から日本に改めて帰化する活動が行われたんだそうな。 昔かぁ・・・ではなく、今あなたがいきなり国から「戦争で今勝って確保した土地に開拓団として行け」と言われたらどうなる? 「あん人はもう帰って来ん・・・」そうつぶやく母親。実際に亡くなってしまった・・・そんな話だけでも自分の身になれば引き裂かれる思いではないでしょうか? その中でなんとか日本に戻ってこれた人たちがいる。が、子供は泣く泣く置いて行った。確か記憶あいまいですが、乳飲み子などでもう連れて行くよりも生きて欲しいからと、中国の家の前に置いて行ったとかネ...